ヒロカズの読書日記

このブログは、読書したことから、考えたことを書いていくブログです

リリー・フランキーとコラムの魅力

 僕にとって文章を生業にする人のイメージは作家ではなくコラムニストだ。
 作家の書く文章はもちろん大好きだが、彼らの書いた文章はなんとなく「職業」のイメージがない。彼らの書くものは優雅すぎて「それで食っている」という卑しさを超越したものだ。
 もちろん、彼らだってそれで食べているのだが、なんとなく、アンニュイな雰囲気を醸し出しているのは圧倒的にリリー・フランキーというコラムニストの書いたコラムだった。
 彼のコラムには、「仕事で書いているんだから」というようなやっつけ感がどことなく感じられ、僕にはそれがたまらなくシビれる大人の魅力に感じられた。
「仕事している」+「文章という自分を表現するアクション」この二つの項に、「倦怠感」が加わると、たまらなくセクシーな魅力へと転ずる。その魅力に当時中学生だった自分は完全にやられてしまったのだ。
 もちろん、それですぐにかっこいいな、と思い、コラムニストになろう、とか思えるようなレベルの文章ではなかった。リリー・フランキーという大人のダルい日常(このダルい日常という感覚がなかなか中学生にはわかりにくい)をコラムで垣間見るにつけ、どこかにこんなかっこいい日常を送っている大人がいるんだ、と憧れを募らせるだけだった。
 考えてみるに、僕の中でかっこいい大人、のイメージはリリー・フランキーのコラムによって作られたと言っていいと思う。なかなかにロマンチックな話なのだが、読んでいる人にこの感覚が伝わるかは、ちょっとわからない。
 近所に住んでいそうで、なかなかいないちょっとかっこいい大人。それが僕にとってのリリー・フランキーのイメージだ。そんな近いようで遠くにいる大人の背中を垣間見ることができたのもコラムの魅力だった。僕が雑誌を好きだった理由はこんなところにあるのだと思う。 

 

エコラム (新潮文庫)

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