ヒロカズの読書日記

このブログは、読書したことから、考えたことを書いていくブログです

プログラミング上達記

僕がプログラミングを始めたのは、去年の12月のことだった。

どういったタイミングだったかは忘れたが、とにかく、暇だったことをよく覚えている。

どこかで聞きかじった話だが、大抵の偉業は「暇だったから」とか、「誰かに頼まれたから」「面白そうだから」とかいうどうでもいい理由で始められるという。

要するに、その余裕というものが大事なのだろう。

僕の場合も、スケールの差こそあれ、やはり、「暇だったから」という理由でスタートしている。

なんでもそうだが、切羽詰まった状態で詰め込むより、はるか先を見越して、目線は遠くにやりながら、しかし、着実に目の前をこなしていく、という感じが丁度いい。

確か、数学者の加藤和也さんも、遠くの山並みを見据えて、というようなことを言うのが好きだった。

彼の中では、ゼータ関数の予想、とか、類対論の統一、とか、ラングランズ予想、とかの遥かなる大目標があって、その大目標を遥か遠くに見据えて歩いていく、というようなイメージだった気がする。

それはさておき、僕の場合、特に遠大な目標があるわけではなかった(エンジニアになりたい、とかの)のだが、とりあえず、クリエイティブ ・コーディング上手くなりたい、くらいの感じで始めた。

最初の頃、とりあえずインターネットの記事を見ながら、必死に勉強を始めた。

頑張ってみたけど、一ヶ月(?)くらいやって、すぐにやめたことを記憶している。

僕の場合、目標がなかったし、特に食らいついていく理由が見当たらなかった。

それもそうだし、インターネットの記事を見ていても、イマイチ実際のコーディング作業がイメージできなかったのだ。

インターネットでコーディングの勉強を始めたことのある人ならわかると思うけど、コーディングの記事って、実際に作る作業とは無縁な書き方をされていることが多い(?)。

要するに、技術の活かし方までは書かれていないのだ。

だから、当然のことながら、知識を溜め込んでいって、「そういえば、あの時習ったやつで、ここの処理できるかも」みたいなことがあるまで、待っている期間が必要なのだ。

ですので、技術そのものにはあんまり魅力もないし、面白くないです。

それがしっかりと活かされているところを目にするまでは、プログラミングへの開眼はしないと思います。

なんか大したこと書いてないな〜、っていう記事を読んでいく時期(①)を経て、しばらく放置し(②)、ふとしたきっかけでそういえば、あのプログラムってどうやって書かれているのか?と思って、調べたりしているうちに、そうか、よくわからんけど、プログラミングって料理と似てるな!っていう開眼のポイントへ至るのである。

どういうことだろうか?

つまり、配合の度合いなのである。塩梅が大事なのだ。

WEB製作でも多分同じだと思うんだけど、結局、細かいちょっとしたバランスで全ては変わってくるのだ。

これは、もう、どんな製作物でも同じだろう。

感覚が全てですね。で、感覚の部分って「教えれない」。

僕は今、ちょっとしたプログラミング講師のようなことをしているけど、まだ感覚的な部分については教えていない。

そういう部分の微妙な話ができるようになったらとても面白いだろう。

ちょっとした部分の数値とかって、もう、自分で何度も試すしかない。

ラーメン屋のスープ開発と同じだ。

自分のぴったりくる配合を探すしかない。

というところで、今回の記事を終ろう。

WEB開発の面白さとは、様々な技術を自分なりの配合で取り入れるところにあるのではないか、とふと思うのだ。