ヒロカズの読書日記

このブログは、読書したことから、考えたことを書いていくブログです

過程を経て・・・

我々は成長する過程で様々なフェイズを通過する。
最もわかりやすいのが、学生時代遊んでいた人が社会人になって急激に真面目になるというパターンである。
これは一回メーターが振り切れてしまった方が、そうでない人よりも、経験してきたフェイズが一個多いので、その分気楽に物事に向き合えるせいだと、僕は解釈している。
過程を経ることで得るものはいくつもあるが、一つはこの「身体が軽くなる」感じだと言っていい。
思春期というのは、いわば精神の「増量期」とも言えるようなもので、誰しもこの時期に肥満性の状態というものを抱え持ってしまうのだが、これは後になって、きちんと消化されれば、たくましい魂の筋肉となって昇華される可能性を秘めている。
つまるところ、人生にはフェイズが必要だということだ。
フェイズが変わるまでに飽きることなくルーティーンをこなし続けられる力というのは意外に重要である。
例えば、好きな女の子がいるとしよう。いわば、自然にこの子のことを考えるようになったとして、そこから「何らかの重圧」を感じるようになったとすれば、人は二択を迫られることになる。
①その選択肢から身を遠ざける
②その選択肢を自分の使命として受け入れる
ここで①を選んだものは、その女の子に対しての責任を放棄したのみならず、「自分の迎えようとしていた成長のフェイズ」からも目を逸らしたことになり、これ以降、出会う女の子全てに対して猜疑心のこもった視線を向けなければいけなくなる。
しかし、②を選んだものは、そこにおいて、自らの新しいステージの扉を開くことになる。そこには当然のことながら、受難があり、危険があるのだが、そういった経験をもって人は自己の中に秘められた可能性を受け入れていくのだろう。
過程を経ることというのは、いわば、自己の生まれ直しを見るようなものだからだ。