ヒロカズの読書日記

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才能について(村上龍「おしゃれと無縁に生きる」を読んで)

 才能というのが何なのか、このエッセイの中で村上龍は何かを示唆しようとしている。
 冒頭で、村上龍はこんな風に書いている。「才能というのは、その人にペタッと貼り付いているわけでも、内臓のように体内、脳内に存在しているわけでもない。努力を続けることができる、それが才能で、それ以外にはない。」
 わかりやすい定義ではある。しかし、このエッセイはそれだけで終わらない。
 雨の中、友人である中田英寿氏がボールを蹴り続けていた練習風景が村上龍氏にとって、才能というものを如実に表すものとして記憶されたようだ。
 このエピソードはどのように才能を示唆しているだろうか。
 僕は一つには「孤独」というキーワードをこの情景からすぐに思い浮かべた。才能というのは孤独なものである。それを追求する努力はすべて自己の鍛錬それ自体に帰着される。
 セロニアス・モンク言うところの、「どれだけ頑張ったかで、どこまで行けるのかが決まるのさ」というイメージだ。
 また、一つには、いわゆる幸福というのとはまた、少し違うのだ、ということもこのエピソードは示唆しているように感じられる。
 雨の中、誰もいない練習場で、ボールと向き合う。それはどちらかと言えば、辛い鍛錬だ。
 ここで、村上龍氏の言葉が印象深い。「わたしは、今でも、豪雨の中、黙々とボールを蹴っていた中田英寿の姿を、ふと思い出すことがある。わたしもずぶ濡れになり、寒かったが、とても幸福な時間だった。」
 一見したところ、幸福には思えないこうした雨の中の練習。それは他人から見ると、一見異様な情熱に突き動かされているように見える。しかし、こうした情熱こそが人間の幸せの一つの形である、そうしたことを村上龍氏はさりげなくこのエッセイで言おうとしたのではなかろうか。
「こんな雨だし、すぐに終わるだろうと思いながら見ていたが、中田は、暗くなってボールが見えなくなるまで、蹴り続けた。」さりげない一文に、天才の孤独と、そこに燃える情熱がひそかに示唆される。素晴らしいエッセイだ。

 

おしゃれと無縁に生きる (幻冬舎文庫)

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  • 作者:村上 龍
  • 発売日: 2018/08/03
  • メディア: 文庫