ヒロカズの読書日記

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継続と一人の小説家(村上春樹著「職業としての小説家」感想文)

 何かを継続するにあたって、淡々と、というのは非常に重要なことなんだなあ、と思う。
 特別なことはしなくていい。きちんとやるべきことをこなしていけばいいのだ。
 そんな感慨を抱く時、僕は村上春樹さんの「職業としての小説家」という本を思い出す。
 この本には村上さんの小説家としての生活がかなり具体的に、そしてその生活において行われる作業がどんなものなのかが率直に語られている。
 驚かされるのはその作業が非常に地道に続けられているということだ。
 村上さんの長編執筆時の作業目標は、「一日パソコンモニター二画面半(原稿用紙10枚)」というもの。
 ここで村上さんはアイザック・ディネーセンの言葉を引用する。それがとても印象に残る。「私は希望もなく、絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます」
 この本は、何かを継続する、ということに直面している全ての人にとって、重要な何かを語っているように思える。
「時間を見方につける」と題された章で、温泉の話が出てくるのも非常に興味深い。
 それは優れた小説には、温泉に浸かっている時のような特別な温かみがするというのだ。
 何かを継続することと、そこに生じる肌身に感じられる温かみ。我々の作業は、そうした温かみを誰かに届けられるものなのだ。

 村上さんがこの本で語ろうとしていることは、「効率性」と対極にある小説家としての自分の仕事のスタイルなのだろうと思う。「小説を書くというのは、とにかく実に効率の悪い作業なのです。」と実際に村上さんはこの本の中で語っている。
 しかし、話が温泉の温かみに及んだとき、一見理解しにくいこのような非効率性についての言及がどのような意味を持つのかがわかってくる。
 実際、何年も作家として活動してきた人の言葉として、非常に重い。
 このように考えてくると、彼の小説に人気がある理由も、当然のことながら、もっと深い理由がありそうに思えてくる。
 一見何のことはない小説に込められた、一人の作家の思いを記述した貴重な証言だ。 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)