ヒロカズの読書日記

このブログは、読書したことから、考えたことを書いていくブログです

落ちこぼれと内田樹

 大学院時代、作家になりたくて、唐突に大学院を退学した。
 それからの歳月、読書を大量にこなしたが、ある日、次のような一節に出会った。
「この人の言葉の本当の意味を理解し、このひとの本当の深みを知っているのは私だけではないか、という幸福な誤解が成り立つなら、どんな形態における情報伝達でも師弟関係の基盤になりえます。書物を経由しての師弟関係というのはもちろん可能ですし……」
 この一節に当時の僕が求めていたことの全てが書かれていたのだと思う。

 大学時代、僕は究極の落ちこぼれ学生だった。学びというものからの逃走。何をしたらいいのかわからず、ひたすら自分の好きな読書だけを黙々とこなす日々。不思議と不安はなく、なんとなく日々は過ぎていったが、悪夢は頻繁に襲ってきて、僕を苦しめた。
 当時頻繁に見た夢は、高いところから落ちる夢だ。これはインターネットで調べてみると、思春期の不安を抱えた青年が頻繁に見る夢なのだという。まさに当時の僕がそうだったのだろう。
「いまの若い人たちを見ていて、いちばん気の毒なのは『えらい先生』に出会っていないということだと私には思えたからです。」
 この「先生はえらい」という本を書いた内田樹さんの言葉に、僕は自分の存在が抉られるように感じた。
 これまで、漫然と読書してきた歳月を呪うようにさえなった。あれほど好きだった読書という作業が、内田さんの観点からするとまるで遊びのようなものに過ぎなかったからだ。
 僕は村上春樹の小説がものすごく好きだったが、その内田さんの本を読んだことをきっかけにして、村上春樹の文章に再入門してみよう、と思うに至った。
 今度は一読者、としてではなく、一弟子として、彼の文章から学ぶことを目標にして。
 それがこの度、noteで文章を投稿するきっかけとなった。
 内田さんの書いた著作に僕の学びの原点がある。

 

先生はえらい (ちくまプリマー新書)

先生はえらい (ちくまプリマー新書)