ヒロカズの読書日記

このブログは、読書したことから、考えたことを書いていくブログです

「知りません、わかりません」(村上春樹著「村上ラジオ3」)を読んで

 勉強というのは欲得ずくでするものではない、とつくづく僕は思っている。
 欲得ずくでなされた勉強は大した役には立たないのである。
 何故だろうか?
 学びというのは実はそれがどこでどう役立つかわからないという場合に最大の効果を発揮するからだ。
 村上さんのエッセイにそのあたりの事情が色濃く感じられる。
 現在小説家として活躍する村上さんだが、
「中学生の頃、少しでもたくさん世界の知識を身につけたくて、百科事典を最初から最後まで読破したこともある。」と書かれている。村上さんは百科事典から何を学んだのだろうか?
 ここでの答えはかなり意外なものだ。
 「で、百科事典を読破してそれが何かの役に立ったかというととくに立ってないみたいだ。」と呆気ない。しかし、これは文字通り役に立っていない、という意味ではないと僕は考える。
 どういうことだろうか?
 彼が言いたいのはおそらく、この時の知識は直接は何かの役に立ってないよ、ということではないのか?
 役に立つというのは非常に深淵な何かを秘めている。
「きっと人にとっていちばん大事なのは、知識そのものではなく、知識を得ようとする気持ちと意欲なのでしょうね。そういうものがある限り、僕らはなんとか自分で自分の背中を押すように、前に進んでいくことができる。」と村上さんは書いている。
 僕はこれをこう言い換える。「人間はあらゆる経験を糧にできる生き物である」と。
 このエッセイに述べられているのは、本当はすごく壮大な話だと思う。
「小さく縮こまるな。大きく生きろ」そんな村上さんの声が聞こえるようだ。
 このエッセイは学びの壮大さを書いた素晴らしいエッセイだ。
 そして、タイトルは「知りません、わかりません」。なかなか奥の深い話である。
「小説家になった喜びを深く感じるのは、素直に『知りません』と言えるときだ。」という一文が心に残る。

 

村上ラヂオ3: サラダ好きのライオン (新潮文庫)

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